中央区は23区のほぼ中央にあって、面積は23区の中で最小です。
ここ数年の都心回帰の波に乗り30代が多く流入、2006年には31年ぶりに人口が10万人に回復しました。
中央区の大部分の土地は慶長8年の豊島洲崎の埋め立て以来、常に港湾としての利用を考慮しつつ数次にわたる埋め立てによって造成されてきたものです。
大消費都市江戸の物資搬入路としての江戸名湊の整備につれて、そこに居住した人々も職業集団としての町を形成し、それが後には、魚市場・廻船問屋・酒問屋・材木問屋などの河岸問屋を形成してきました。
今も橋の中央に日本国道路元標が埋め込まれている日本橋は、慶長8年に初めて架けられました。その翌年、いわゆる五街道の制が確立されてからは日本の中心、興行街などの盛り場の発生をみるなど、町人文化の発達とともに江戸の商工業地帯として最も早く、極めて恵まれた条件のもとで発達してきた地域でありました。
このことは明治以降においても変わることがなく、いち早く銀座煉瓦街が建設され、築地居住地の繁栄とともに、文明開化の先端をきることとなりました。
商業機能は中央区全体に分布していますが、特に日本橋・八重洲・銀座一帯には百貨店、娯楽業、飲食業が集中しています。
また、日本橋の横山町、馬喰町、富沢町、堀留町一帯には繊維関連の卸売業が集中し、築地地区には中央卸売市場周辺の食品卸売業が集積しています。
文化面においては画廊数が23区中最も多く、特に銀座や京橋界隈にその7割が集中しています。
また歌舞伎座、明治座、新橋演舞場など伝統的な演劇が上演される劇場が数多く存在しています。